罐猫さん、逝く。
わたしたちの仲間、そしてまきば線のアイドルでもあり、機関庫周辺を塒(ねぐら)としていた罐猫さんが、3月10日に逝去されました。
罐猫さんは、猫ですから自身を語ることはありませんでしたので、その出身や経歴はおろか、年齢さえもよくわかりません。もともとどこかの飼い猫だったようですが、なんらかの理由で野良になり、流れ流れてまきば線にたどり着いたようです。
ちょうど先代の“罐猫(※)”さんが旅に出て不在だったこともあり、そのまま、まきば線機関庫に住み着くようになりました。しかし、当初は人間に見捨てられたという経験のせいか、わたしたちが活動しているときには人間不信気味に遠くから見ているだけでした。
ところが、猫好きも多い羅須地人が、機関庫を塒とした彼女をそのまま放っておくはずもありません。さまざまなアプローチが試みられ、物理的にも心理的にも少しづつお互いの距離が縮まっていきました。そして、いろいろな交流を経て、気づけば罐猫さんはまきば線になくてはならない仲間の一員になっていたのでした。
特に、猫好きのU山さんは、活動への参加頻度も多かったことから、交流を深めていき、罐猫さんもあんなに人間不信に陥っていたことが嘘のように、U山さんには特にデレデレに甘えるようになっていました。
わたしたちがまきば線機関庫に赴くと、彼女が出迎えてくれるのはもちろん、暑い夏には機関庫の土間コンクリートの上でだらしなく大の字になっていたり、寒い冬の夜には薪ストーブが燃える東屋(その名も“罐猫軒”!)にふらりと現れたりと、まきば線機関庫周辺で自由気ままに暮らす日々が続いていました。彼女の愛らしい姿はわたしたちの気持ちを大いに和ませたものでした。
昨年夏にはどこかで大怪我したらしく衰弱しているところが発見され、心配されたこともありましたが、その後、奇跡的な回復力で無事復活、U山さんはじめ羅須地人たちもほっと一安心していたところでした。
ところが、2月下旬くらいから再び彼女の姿が見かけられなりました。長く続く留守に“彼女”の親友、U山さんにもいやな予感が頭をよぎったものの「また、旅にでも出たのかな? またひょっこり戻ってくるよな」と思い込もうとしていたそうです。
しかし、U山さんの希望もむなしく、作業に訪れた羅須メンバーがすでに冷たくなった罐猫さんを発見したのは3月10日のことでした。直前の非公式活動の際にはまだ彼女の姿はなかったことから、どこかで身を隠し体を休めていたのでしょう。おそらく自分の死を悟った彼女は、最期の力を振り絞ってまきば線機関庫までたどり着き、息絶えたのではないでしょうか。おそらくはU山さんに会うために…。
罐猫さんは、彼女が慣れ親しんだ機関庫を望む小さな丘の上にお花とキャットフードとともに手厚く埋葬され、小さなお墓が建てられました。そしてその夜は、集まった羅須地人メンバーでささやかな弔いの席が催され、彼女のために杯が献げられ、夜遅くまで彼女の思い出話が語られたのでした。
罐猫さんの逝去にあたって、U山さんからは送辞が献げられています。
もとは飼い猫だったのが、捨てられた人間不信からか最初のころは遠くから
見ているだけだったのが、いつのまにかすっかり心を許して仲間に
加わり立派な名前もいただいて、みなさんに可愛がってもらいきっと
悪い人生ではなかったと思います。
昨年の夏のぼろぼろの状態から奇跡的に復活して、生きていくことの
厳しさ、そして精一杯生きるということを無言のうちに伝えてくれた
ような気がします。
普段は一人でさびしい思いもさせたかもしれないけど、ひもじい思いは
させなかったよね、そんなことしかしてやれなかったけど、勘弁してね。
心安らぐ時間をありがとう。 安らかにお眠りください。
合掌
罐猫さん、安らかにお眠りください。
※罐猫(かまねこ)
もともとは宮沢賢治『猫の事務所』の竃猫(かまねこ)が由来。羅須地人鉄道協会の創設にも大きく関わったけむりプロのメンバーが、機関庫周辺に住み着いた猫を指して使うようになったらしい。
『猫の事務所』の“竃猫”は“竃(かまど)”を寝床にしていたのに対して、“罐(かま・ボイラーのこと)”のいる庫(くら)に住み着くため“罐猫”の字が充てられる。
蒸気機関車のいる機関庫に住み着く猫の一般名称として使われていたが、いまや猫が住み着くような蒸気機関車(罐)の機関庫はまきば線くらいなので、ほぼ固有名称化しつつある。
3/14 一部訂正しました。
この記事へのコメント